震災後初めての帰郷
4月22日から26日まで、宮城県仙台市に帰郷した。長文になるけれど、自分の記憶をしっかり残したいのでここに記します。
震災後、初めての帰郷となった夜。仙台は冷え込んでいて寒かったが、どうしても撮影したかった実家からすぐの桜を見に行った。 残念ながら桜は既に散っていた。この桜を見て過ごした青春時代。
実家から近いからいつでも撮れる、今年こそは撮ろう・・・と毎年想いながらずっと後回しにして来た。今回の帰郷の際は絶対撮ろうと思っていたけれど、花が咲いている時に間に合わなかった。桜の咲くタイミングは難しい。特に今年の東北は寒かったのと、震災の影響もあり、桜開花の予想を立てるどころじゃなかった。
「いつでも撮れる」と思っていては、ダメだと思った。写真は瞬間を収める物。今しか撮れない。花は散っていたが、シャッターを切った。
翌日、実家の様子、近所の様子を見て回った。内陸部は沿岸部のような大きな被害はないように思えたが、地滑りが起こっていると言う。所々、大きな地割れがあったり、倒壊している家があったり・・・地震の爪痕が沢山残っていた。
この日の夜、中学の同級生達と再会。みんな大変な時なのに沢山集まってくれた。今年のお正月、12年ぶりの同窓会で久しぶりに再会したばかりだった事もあり、同級生ネットワークが広がった。震災後、みんな連絡を取り合い安否確認や情報交換をして強い絆を深めていった。震災直後、遠方に離れた同級生達が実家の様子が分からず路頭に迷っていた所、沢山の同級生達が情報をくれた。私の親も、友人が助けてくれた。様子を見に行けない分、同級生達が親や親戚の様子を気遣ってくれた。
ありがとう!! 友達の大切さが身に染みる。
24日、父のお墓が心配だったので、母と2人でお墓参りへ行った。お墓までの道中、道路がかなり隆起している所が多かったが、お墓は無事だった。とてもいい天気だったので、母と2人でお父さんのお墓の前で昼食を取る。地震で母はとても疲れた様子だった。
25日、中学の同級生の音楽家、中川賢一さんのチャリティーコンサートに同行させてもらう事になった。中川君は震災後、沿岸部の被災地を回り、チャリティーコンサートを行っているとの事。今回、私は、正直に言うと沿岸部へ行く事を少しためらっていた。日程的にも余裕がなく、ボランティアするにも何も知識もなく。物資も大量に用意する事が出来ないし・・・等と、自分に言い訳をして逃げていた。
ただ単に、現実をこの目で見るのが怖かった。一人で沿岸部に行くのが怖かったのだ。
そんな時に、同級生の集まりに来ていた中川君からチャリティーコンサートの話を聞き、私も同行したいと申し出た所、快く受け入れてくれた。
出発予定時刻、仙台は急に雷雨が。かなりの集中豪雨だったので、本当に沿岸部に行けるのか不安だったが、出発した。空はどんよりと暗く、私の心を現しているみたいだった。
仙台駅から車で15分くらいの辺りから急に風景が変わった。道路脇には壊れた車の山。中央分離帯に残る瓦礫の山と海の砂・・・。過去によく見ていた風景とは明らかに違う。被害の範囲の広さに驚いた。この道に津波が襲いかかり、沢山の方々が亡くなられたそうだ・・・。
悲惨な光景は浜に近付くほど大きくなった。七ヶ浜の町に入ると、完全に風景が変わった。突然現れた瓦礫の山・・・。この瓦礫の中を通って、演奏する場所へ行くのだ。
眼前に現れた、菖蒲田海岸。ここは昔、家族や友人と海水浴に訪れた場所。
以前見た町は跡形もなくなっていた。
「全部流されてなくなったよ」地元の方が話してくれた。
ミニコンサート会場は、津波で浸水しながらも奇跡的に残った「とと家」。HPには、以前の浜の様子と現在の様子が赤裸々に掲載してある。
「とと家」 http://www.c-marinet.ne.jp/~ktsutsum/totoya/hitomi.html
ミニコンサートはピアノとチェロの二重奏。「少年時代」「川の流れのように」等のPOPSの他、クラッシックの名曲まで、世界で活躍するアーティスト2人が魂のこもった演奏を披露した。
ピアノ・中川賢一
http://www.proarte.co.jp/japanese/2011jpn-artist/leader/post-1.php
チェロ・丸山康雄 http://www.rondomusic.co.jp
丸山さんのチェロの音を聴いて、一発でファンになった。素敵! また絶対どこかで演奏を聴きたい!
2人の素晴らしい演奏に被災者の皆さんの目から沢山の涙がこぼれ落ちる・・・
「とと家」のオーナー、ひとみさんからのリクエストでドビュッシーの「月の光」を弾く中川君。
津波で海水に浸かってしまったピアノ。それでも綺麗な音色が響く。
ふとピアノの上の時計が目に入った。
奇しくも時計の針が14時46分を差していた・・・。震災が起こった時間。美しく静かなピアノの調べと共に、皆のすすり泣く声・・・
あまりに切ない気持ちと魂のこもったピアノに私も泣いてしまった。中川君のピアノと丸山さんのチェロは人の心を動かす力がある。
最後に演奏に合わせ、みんなで「川の流れのように」「ふるさと」を合唱した。みんな思い切り声を出し、歌っていた。次第に笑顔になって行く。その笑顔に癒される。
音楽の力は偉大だ。一瞬でも人の心を癒す事が出来るのだから。
演奏会が終わり、外へ出ると梅の花が咲いていた。
「中川君、丸山さん、素敵な時間をありがとう。そして「とと家」の方々、集まった皆さん、ありがとうございました。皆さんの復興を心から祈っています。そして「とと家」にまた伺いたいです!美味しいお食事、楽しみにしています!!」
26日の早朝、親戚の家の庭に咲く山桜は、満開になっていた。これから仙台を発つ。叔母達に見送られ、東京を目指す。東北道を走っていたら、大好きな福島の文字が・・・
気が付いたら、二本松ICで降りていた。
立ち寄ろうか迷っていた、福島県。大好きな福島県。ICを降りた途端、私の中の桜レーダーが動いた。
合戦場の枝垂れ桜が満開だった! 福島は花盛り!
原発の影響で観光客が減ったと聞いていた「三春滝桜」。実際は、沢山の人で溢れていた。平日の早朝なのに人がどんどん増えていく。福島ナンバーだけでなく、関東や関西、北海道のナンバーの車も入っていた。駐車場はあっと言う間に満車。ホッとしたし、すごく嬉しかった。
滝桜の根元にあるお堂に手を合わせ、震災で亡くなられた方々のご冥福を祈り、被災地の復興を祈った。2011年の滝桜、とても美しい姿だった。心から、行って良かったと思う。また来年も再来年もその先も滝桜と会えますように・・・。
今回の東北帰郷で色々な事を考えさせられた。自分の無力さを知り、どうしようもなく落ち込んだけれど、私に出来る事をしっかり考え、次回の帰郷の時には少しでも役に立てれば・・・と思う。復興への道のりは長いけれど、風化しないようにして行きたい。
最後に救援物資、何を送ったら良いのかを悩んでいる方へ
救援物資は炭水化物ばかりが多く、栄養が偏ってしまうそうです。今回、中川君からの提案で果物を被災地に持って行く事にしたのですが、果物も傷みやすい物が多いので、私はフルーツの缶詰を持っていきました。缶切りを使わずに開けられるタイプの物です。缶詰だったら長く保管出来ますし、フルーツはビタミンが豊富なのでオススメだと思います。被災地は乾燥や埃で肌が荒れてしまうようなので、フルーツ缶は喜ばれるかも。常に状況は変わってると思いますので、その時々で必要な物は変わると思います。また状況が分かり次第、ご報告致します。
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